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「ヤマト2199」に関する駄文雑文集(2) ~「さらば」の衝撃~ [アニメーション]

78年8月、シリーズ第2作にして「完結編」と銘打った
「さらば宇宙戦艦ヤマト・愛の戦士たち」が公開される。
このとき、私は大学2年生になっていた。
20歳直前、10代最後の夏だった。


この作品に感動し、愛している人は世間にはたくさんいると思う。
これを「ヤマトの最高作」と評価している人も多いはずだ。

しかし一方で、この作品について否定的な意見もまた、存在する。
ここではっきり書いておこう。私は否定派である。


前回、「酷評する」なんて書いたが、
はじめからそのつもりで書きはじめたわけではない。
書いているうちに頭に血が上ってきて、
終わってみたら自分でも驚くくらいキツイ文章になっていた。

それだけ冷静さを保つのが難しい素材なのだろう。
自分にとっての「ヤマト」は。

何かをけなしたり、文句を言っている文章というのは
読んでいて気持ちのいいものではない。
たいていは書いている本人の自己満足に過ぎない。

書いてから3日ほど放置して
頭が冷えてから読み直してみた。
上記のようなことが頭をよぎって、
ブログに載せるのをやめようか、とも思ったが
あの当時の私は確かにこんなことを
感じたし、考えていたのは間違いないので
載せることにした。
(いちおう、部分的には3回くらい書き直してる。)

でも、以下の文章と次の(3)の文章は
「さらばLOVE」な人には
オモシロクナイ内容になっていると思う。

ネットでは「書く自由」もあるが、
「読まない自由」もあるので
それを行使していただきたい。

この映画を観たのはどこだったろう。
東京のどこかだったのは間違いない。
電車で1時間以上かけて出かけていったのを覚えている。

観る前に感じていたのは、もちろんワクワク感だった。
第1作から数えれば4年。
あのヤマトの続編が見られる。
いやがおうにも盛り上がるというものではないか。


しかし。

この映画を観て感じたもの。
というか、観ているうちに
私の心の中にわき上がってきたものは、何だったのか。

それは強烈な「違和感」だった。

今風に言う「コレジャナイ感」どころではない。
正直な話、私は自分の目と耳を疑ってしまった。

画面の中で動いている古代進は、
本当にあの古代進なのだろうか?
映画のラストで古代に語りかける沖田は、
本当にあの沖田艦長なのだろうか?

そして、
自分が見ているものは本当に「ヤマト」なのだろうか?


違う、と思った。

この作品は、少なくとも私が知っている「ヤマト」ではなかった。
スクリーンの中で、笑い、泣き、戦い、そして死んでゆく彼らは、
私の知っている「ヤマトの乗組員たち」ではなかった。
「ヤマト」に似てはいるが、「ヤマトデハナイナニカ」だった。

終わってみれば、「ヤマトデハナイナニカ」を
延々と見せられた2時間半だった。

画面を見ていて辛かった。苦しかった。悲しくもあった。
いろんな感情が胸の中を駆け巡った。

しかし、そこに「感動」だけは無かった。


私からすれば驚くべき事に、この作品は
観客動員数 約400万人、興行収入 43億円、配給収入 21億円という
アニメーション映画としては空前の大ヒットを記録する。

14年後の92年に、ジブリ映画「紅の豚」に抜かれるまで、
一位の座を守り続ける。
「劇場版ガンダム三部作」も
「劇場版マクロス 愛・おぼえていますか」も、
「さらば」を超えていないのだ。

その後の
「エヴァンゲリオン 新・劇場版」も、
「魔女の宅急便」だって
「さらば」を超えていないのだ。

内容に対しても「感動した!」という声が多数あったという。
まあ、評価が低い作品が、あんなにヒットするわけもない。


内容について賛否両論がある、ということは、
公開後少し経って耳に入ってはきたが、
興行成績から判断する限り、
私のような感想を抱いた人間はあまりいなかったということだろう。
私のような人間は少数派だったということだ。

そのこともショックだった。

 私の感覚や価値観が
 メジャーなものではなさそうだ、というのは、
 その後の人生でもいろいろな場面で感じている。

 絶賛されてベストセラーになっている小説を読んでみたら、
 どこがいいのかさっぱりわからなかった、
 なんてのは一度や二度じゃない。

でも仕方がない。
私には、そうとしか感じられなかったのだから。

映画が大ヒットすれば、
「続編を」という声は当然上がってくる。

「さらば」で完結、というプロデューサーN氏の言葉は
簡単に反故にされ、「ヤマト」はTVや映画として
さらに続編が作られてゆく。


しかし、後続の作品群も、
「さらば」で感じた「違和感」を、
解消してはくれなかった。


「ヤマト」は変わってしまった。
そして、それによって私も変わってしまったのだろう。

そこにいたのは、「ヤマト」という作品に対して、
素直に接することができなくなった自分だった。


当時もうすうす感じていたことだが、
今になって考えれば、
「さらば」のラストで、スクリーンの彼方にヤマトが消えてゆき、
館内の明かりがついたとき、
私のとっての「ヤマト」は終わっていたのだろう。
(気づくのが遅いって)


次回はこの「違和感」についてもう少し詳しく書いてみる。


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